この話は、「僕の背に口付けを」の同人誌初版に掲載した作品です。
紫苑バージョンは春にアップ済ですが、同人誌再加筆修正に伴い、千尋バージョンをアップする事にしました。
加筆修正した結果、10ページ程余裕が出来てしまったので今回(間に合えば……)違う番外を書こうと思っています。
ちょっと季節外れですが、千尋バージョンの「桜咲く」を楽しんで下さいね。
「千尋用意は出来たか?」光輝の声に「はい」と返事をしながら、千尋がリビングに行くと、先に着替えを済ませた光輝が驚くような恰好で座っていた。
「光輝?」普段は髪をワックスで撫で付けているのに、今日の光輝はサラサラ髪のままで、その姿にベッドの中での光輝を重ねてしまい、千尋は少し緊張してしまった。
ジーンズにチェックの綿シャツ姿はスーツよりも若く見え新鮮だった。千尋も珍しく今日はジーンズ姿だ。
ダイニングでは仁が重箱に弁当を用意してくれている。千尋は仁の近くに行き「仁君も一緒に来ればいいのに……」と誘うが仁は「補佐も留守番だから……」とちょっと照れたように言った。
今日は総勢八人での花見だった。伊豆で河津桜を見て、一泊して帰って来る予定だった。
以前世話になった南條弁護士から、その話があったのは、三日前の事だった。その話を聞いて「桜を見たい」と言う千尋の願いに予定をやり繰りして光輝が叶えてくれたのだった。
光輝も虎太郎も不在という訳にはいかないので、虎太郎と仁は留守番を買って出た。そんな二人に遠慮する千尋に「いいんだよ、あいつ等は邪魔者がいない方が……」と光輝は言う。付き合い始めた二人なら、その方がいいかもしれないと、千尋も花見を楽しむ事にした。
仁が持たせてくれた重箱を下げて、光輝の車に乗り込んだ。にこにこと見送る虎太郎と仁を見れば、これで良かったのだと千尋も安心していた。
「みんな忙しい奴らだからな、現地集合だ」と言う光輝の運転する車は高速に乗り、一路伊豆を目指した。
待ち合わせの場所に到着すると、先に二台の車が停車していた一台は南條弁護士が運転するワンボックスカー、そしてもう一台は千尋も好きなジャガーXJだった。その車の横に光輝のベンツも静かに滑り込んだ。
「すまん、遅くなった」これでも光輝にしては珍しく丁寧な言葉使いだった。
「いや、俺たちも今到着したばかりだ、千尋君久しぶり」と南條は千尋に向かい笑顔を見せてくれた。
あまり思い出したくない事件だったが、南條には世話になった。「お久しぶりです、先日はありがとうございました」と礼を述べる千尋の肩を光輝がそっと抱いてくれた。
そして南條と一緒にいるメンバーは千尋にとって皆初対面だった。自分とそう年齢が変わらないだろうメンバーを見て千尋も少し安心した。
「こんにちは僕、堂本紫苑です」その中の一人の青年が千尋に話しかけてきた。
(綿菓子みたいな子だ……)千尋は紫苑という綺麗な青年に少し見惚れてしまった。
自分の棲む場所が日陰ならば、この青年は間違いなく日の当たる場所だろうと思った。それほどに醸し出す雰囲気が暖かかった。
「こんにちは、斉藤千尋です」千尋も笑顔を返した。
「おーい、場所確保したぞ」と手を振りながら二人の青年が戻って来た。「よし、移動しよう」と言う南條の掛け声で皆それぞれの荷物や弁当を持って歩き出した。
千尋は、仁が持たせてくれた重箱を抱えているが、紫苑が持っている物に比べたら遥かに小さく思えた。
「紫苑、随分と頑張ったんだな」南條がそう言いながら紫苑の持つ重箱を受け取った。
「そうだよ、南條夕べから大変だったんだから」と言う男は紫苑の背に手を添えて歩き出す。
「このくらい平気だよ、桜の下でいっしょに食べるんだもん、全然苦じゃないよ」と明るく答える紫苑を見て、あの大量の弁当をこの青年が作った事を知った。
(凄い……)仁に任せっきりで何も出来なかった自分が少し恥ずかしく思えてきた。
「楽しみだね、お弁当」紫苑が笑顔で千尋に話しかけてきた。
「凄いですね、あんなに沢山、一人で?」と言う千尋の問いかけに「料理好きだから」と紫苑は明るく答えた。
仁みたいに料理が好きな青年もいるのだ、と思っていると千尋の持つ重箱に視線を投げられたから「これは、友達が作ってくれて……」と千尋は罰が悪くて言い訳をした。
「そういいね、僕にも少し分けてもらえるかな?人が作ったお弁当って美味しいんだよね」と言われ千尋は頷いた。暖かい日差しの中、紫苑の薄茶の髪がきらきら輝いて見えた。
(きっと穏やかな人生を歩いて来たのだろう……)と千尋は思っていた。
自分が特別に苦労をしたとは思っていないが、特殊な人生を歩いて来ている。そしてその道はこれからも続く。
「ここだ」という誰かの声に桜の下を見て驚いた。
青いビニールシートを想像していたが、そこには薄いピンク色のカーペットが敷かれクッションまで置いてあり、折り畳みなのだろうか?座卓まで置いてあった。アルコールやソフトドリンクがその座卓に並べてあり、千尋は普通と違う花見に戸惑いを隠せなかった。
「僕、こういう花見は初めてなんだ……イメージしていたのとは、ちょっと違うけど紫龍、あっ紫龍って僕のパートナーなんだけど……その紫龍が色々セッティングしてくれたみたいで……」と少し恥ずかしそうに紫苑は説明してくれた。
「花見初めてなんだ?僕も初めてかもしれない……」
「かも?」
「小さい時に行った事があるような気がするけど、あまり覚えていないんだ……」少なくても雅と一緒に生活するようになってからは一度も花見などした事は無かった。だが紫苑も初めての花見というのには少々驚いた。
千尋と紫苑がそんな話をしている間に花見の席の準備が終わったようだった。光輝が一緒になって動いていのを見て千尋は驚き、そして嬉しかった。ヤクザである光輝が嫌いな訳は決してないが、こういう明るい場所での光輝も好きだと思った。
「紫苑、弁当広げていい?」体格の良い青年が早速そう聞いて来た。「いいですよー」紫苑も元気に返事をしている。
千尋が持ってきた弁当も広げ、一緒に並べた。
「凄い……」紫苑が千尋の弁当を見て感嘆の声を上げていた。千尋も部屋では見る事が出来なかったから、初めて見る仁の弁当に驚きの声を上げた。「仁君、凄い」心から仁に感謝した。
「凄いね、千尋君のお友達、調理系のお仕事しているの?」紫苑の言葉にまさか、ヤクザの使いっぱしりだとも言えなかった。「好きみたいで……」「驚いた、素人さんなんだ」そういう千尋の弁当も仁の弁当以上の出来栄えだった。
「紫苑さんこそ、何か?」
「ううん、僕も趣味、僕は普通の会社員だよ」と答えた。
そして周りの花見客からは少し浮いたような団体の花見が賑やかに始まった。千尋も紫苑の暖かい雰囲気に釣られるように沢山笑った。
千尋と紫苑、そして深田と広海、同年代の四人で話はおおいに盛り上がっていた。普段なら直ぐ嘴を挟む光輝も黙って見守ってくれていた。それほどにこのメンバーは信頼出来るメンバーなのだと千尋は悟った。
そして光輝達少し大人な四人も酒を飲みながら盛り上がっているようだった。
「千尋君の彼って紫龍の大学の後輩なんだってね?」紫苑の言葉に千尋は驚いた。
(光輝って大学出ていたんだ……)仕事柄どうも大学とは結びつかなかったから、今まで気にもしなかった。驚く千尋に「知らなかったの?」と紫苑も驚いていた。
「はい……大学出ている事すら知らなかったです」と千尋が正直に答えると紫苑はまた面白そうに笑った。
「あの……ちなみにその大学って?」
「あ、T大だよ、僕も彼らの後輩だよ」と言う紫苑に「僕もだ」とは就職も決まっていない今、千尋は言えなかった。少し沈んだ千尋を気にして、紫苑は「僕何か気に障る事言ってしまった?」と聞いて来た。
「違うんです、僕まだ就職先が決まっていなくて、ちょっと落ち込んでいるだけですから、紫苑さんは気にしないで下さい」と言った。
「そう?僕は紫龍の会社で働いているんだよ、勿論きちんと試験受けたけどね、千尋君は豊川さんの仕事は手伝わないの?」と紫苑に聞かれた。
紫苑は光輝の職業までは知らないようだったので「それは無理なんです」と当たり障りの無い返事を返した。
「でも焦る事は無いよ、そのうち自分のやりたい事が見つかるから」と慰めてくれた。紫苑の優しい笑顔を見るとそんな気がしてくるから不思議だ。
(この人は一緒にいるだけで、暖かい……)そう感じて千尋も微笑んだ。
「おい、ちゃんと食っているか?」突然光輝が話しかけて来て紫苑と二人驚いた。アルコールが入っているせいか、さっきの爽やかさが消え剣呑なオーラを醸し出していた。
「光輝、飲み過ぎないでよ」と言うと傍で紫苑が笑っていた。「千尋君って強いね」
「そう、こいつは気が強い、だから危なくて目が離せない」などと酔っ払いの光輝が言っている。
「光輝、そんなに酔ったら運転出来ないでしょう?」と責めると「もう車はホテルに移動させてもらった」と平然と言う。
考えてみたら、光輝は気が抜けない仕事をしているのだ、何も考えずにただ酔いたい時もあるだろう。背負った物の大きさ重さは人それぞれだが、皆それなりの物を抱えているのだろうと千尋は思った。
そして、自分は光輝の庇護の元でぬくぬくと暮らしている雛鳥みたいな物だと思った。東京に戻ったらきちんと今後の事を話し合おうと思ったら少し心が軽くなった気がした。
「紫苑さん、僕も頑張れるような気がしてきた」
「そう、何かあったら僕も相談に乗るし、ここにいる人たちは皆良い人ばかりだから、僕じゃなくても相談に乗ってくれると思うよ」と言われ千尋は心強かった。
きっと紫苑という人間の傍にいるから、皆良い人になれるのでは?と千尋は思った。それほどに紫苑の持つ癒しの力は大きいような気がした。
昨日まで忙しくてあまり寝ていなかった光輝がいつの間にか千尋の膝枕で眠ってしまっている。
そんな光輝を見て「僕も眠くなった……」と紫苑は横にあったクッションを抱えていた。考えてみればあれだけの量の弁当を作ったとなると、殆ど眠ってはいないだろうと察しがついた。
そしてこのカーペットもクッションも、そんな紫苑の為に用意されていたと気づいた。
とうとうクッションを抱えて横になった紫苑を見ると、直ぐにパートナーの堂本紫龍がやってきて、ブランケットをそっと掛けていた。そんな紫龍と目が合った。
「千尋君も大変だね、こんなやんちゃな男のお守で」と言われたが「そうでもないです」と答えた。
一瞬驚いた目をした紫龍に「こいつを支えてやってね」と優しく言われ「はい」と頷き紫龍が持って来てくれたブランケットを光輝の体に掛けてやった。
「千尋……」寝言で呼ばれただけでも千尋は嬉しかった。
一行は日が陰る前に予約してある旅館に向かった。
八人は旅館からの迎えの車に乗り込み、沢山の荷物は南條が運転してきたワンボックスカーに積み込まれるが、運転席に座ったのは旅館から来た従業員だった。
千尋は何という殿様一行なのかと驚いていた。だが、それは旅館に到着し離れに案内された時に納得できたような気がした。五部屋ある離れを全室この堂本という男は貸切にしていたようだった。
どれだけ贅沢な花見なのだろう?と千尋は内心呆れてしまっていた。
花見の席で眠っていた紫苑も楽しそうに部屋の中を見回している。「大露天風呂があるんだって、千尋君一緒に入らない?」と声を掛けられたが、千尋は少し残念な気持ちでその誘いを断った。
飲み過ぎた連中はそれぞれの部屋で寛ぎ、若い二人は先に大きな露天風呂に行ったらしい。「僕も」と言う紫苑は堂本に反対され、部屋に付いている露天風呂に連れて行かれたようだった。
光輝は一般の露天風呂に入れない事情がある。南條と堂本はその理由を知っていたが、千尋の事までは知らないようだ。
「光輝、部屋の露天にでも入って来いよ」と声を掛けてくれる。きっとこういう造りの旅館にしたのも光輝の事情を考えてくれての事だと思った。
「よし!千尋風呂行くぞ」突然立ち上がった光輝に驚きながらも、千尋も露天風呂に入りたかったから、喜んで光輝の後に続いた。
「ああ、気持ちいいなぁ」
「お酒飲んでいるんだから、長風呂は駄目だからね」
「千尋こっちに来いよ」千尋の注意など聞いていないような光輝に溜息を吐いてから、言われた通り光輝の横に身を沈めた。
「光輝、今日は連れて来てくれてありがとう」
「楽しいか?」
「うん凄く楽しい」千尋の答えを聞いて光輝も嬉しそうに笑った。
「ほら、こっち」と千尋の体を抱き上げ向い合せで膝の上に座らされた。
「ちょっと……」
「いいだろ、誰も見ていないんだから」
だからと言ってこういう場所で膝に跨っているのも、変な感じだし、変な気分になりそうだ。
「千尋……」甘く囁かれたあと光輝の唇が付けられた。それはいつもの貪るようなものでは無く、穏やかな優しい口付けだった。
「これからの人生をゆっくり生きて行こうな」
「うん」
そう、ゆっくりでいい。焦る事無くゆっくりと……
その道は決して平たんではなく、棘の道かもしれないけど
それでも光輝となら一緒に歩ける、と千尋は思っていた。
「僕を捨てたら殺すよ」笑顔で言う千尋に
「上等だよ」と光輝も笑顔で返した。
互いの目の中に映る自分の姿を確認しながら、また二人は唇をそっと合わせて行った。
おわり
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更新がままならないのに、ご訪問下さってありがとうございます。
先日「十六夜」をこちらでアップすると書きましたが、ソネットのブログでまだ掲載されていましたので、移動はなしになりました^^;勝手申しますがご理解宜しくお願い致します。
それと……先日「冷し足りない」の再掲載の時に「某企画」と書いていまして……
読み手様を不愉快にするのでは?
イラストを使用する場合は観潮楼のテロップを付けるようにとご注意頂き、書き替えました^^;
イヤな気分になられた方がいらっしゃいましたら、この場を借りてお詫びいたします。
申し訳ございませんでした!
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