天使の箱庭＜eternity＞

「自分の部屋で本当にいいのか？」紫苑を背負ったままの深田が聞いてきた。
「はい、お願いします・・・て深田さん、もう降ろして」
「駄目だ、まだ酔っ払ってるんだろう？」
「酔っ払ってなんかいないです、ちゃんと歩けますから」
ムキになって言う紫苑だが、深田も広海も相手にしていなかった。

「なぁ紫苑」深田の改まった言い方に紫苑も「何ですか？」と真面目に答えた。
「沖田部長代理、優しいな・・」
「はい、凄い優しい方です。でも厳しい時もあるんですよ」
「そうか・・・」
深田は紫苑を見る沖田の視線が少し気になっていた。
欲情に満ちた目では無いがただの部下を見る目でもなさそうな気がした。

紫苑の部屋に３人で入ると「今お茶煎れますから」と言う紫苑を無理に座らせた。
「そんな事をしてもらったら、社長に何て言われるか判らないから」
二人にそう言われたら紫苑も無理強いは出来なかった。

「やっぱ紫龍が帰って来るまで僕ら此処にいようよ」広海の提案に深田も頷いた。
「ところで紫苑は夏休みはどうするんだ？」
深田に聞かれ紫苑がえっ？という顔をしている。
「僕にも夏休みあるのかなぁ・・・」紫苑の言葉に深田が呆れながら
「あるよ全社員、会社自体は無いから適当に皆とるんだ」
「あぁそういえば、去年の深田さんの夏休みでしたよね、僕と新幹線の中で会ったの」

たった１年前の出来事が何だか遠い昔のように感じる。
それほど紫苑の環境は大きく変わっていたのだった。
『お祖母さまに会いに松本に行ったんだ・・・』
深田もその事を思い出したのか、少ししんみりした顔で紫苑を見た。

「あ、大丈夫ですよ・・今年も実家に帰るんですか？
それとも広海さんと旅行でも行かれますか？」
「実は、広海を松本に連れて行って両親に紹介しようと思ってる・・・」
少し照れたように言う深田だったが当の広海は顔を強張らせていた。

「広海さん、大丈夫ですよ、深田さんのご両親はとても良い方ですよ」
「いくら良い人でも、こればっかりは歓迎してくれるとは思えない・・」広海が呟くように言った。
「あっ深田さん、僕言い忘れていましたけど、
いつも蕎麦粉を送って頂くお礼に趣味の書を書いて贈ったんです。
おじさん一番好きな言葉だってとても喜んで下さいました。」

「そんな気を使わなくてもいいのに・・・親父の一番好きな言葉って？」
本など読みもしないあの親父の好きな言葉が知りたかった。

「『一期一会』です、お店に飾ってあるっておっしゃってました」
「一期一会・・・・」深田も広海もそれぞれ口の中でその言葉を呟いた。
「ありがとう紫苑」広海の顔から強張りが解け、紫苑に礼を述べた。
「もし追い返されるような事があっても、僕は何度でも行くよ・・・だって圭の事が好きだもん」
「広海・・・」深田もその気持ちが嬉しかった。

「あの・・・僕まだ眠いから、もう帰ってくれませんか？」
紫苑にしては珍しく人をからかうような言い方だった。
だが本当にまだ少し眠そうな目をしている。
「そうだな、広海部屋に戻ろうか？」
「うん、夏休みの計画も立てなくっちゃね」

「今日はご迷惑をおかけしました、おやすみなさい」
紫苑に見送られ二人が自分達の部屋に戻った。
一人になった紫苑にまた睡魔が襲ってくる。

『紫龍まだかな・・・』
暫くソファに座っていたけど、その体は波のように揺れていた。
「夏休みか・・・」
考えてみたら二人で遠出したのは、去年名古屋の相田夫婦に会いに行った時だけだ。
『海に行きたいな・・・でも紫龍休みとれるのかな？』
そんな事を考えたのは、ほんの数分の事で結局紫苑はソファに横になると同時に眠りに落ちてしまった。

そして紫苑は傍らに座り髪を優しく梳いている指を感じて目を覚ました。
「紫龍・・・」
「起こしてしまったか？」
「お帰り紫龍」
「ただいま、今夜は楽しかったか？」
そう聞かれて紫苑は改めて今夜の自分の行動を思い出し慌てて体を起こした。

「あ、ごめんなさい、僕沖田部長代理にも深田さん達にも迷惑を掛けてしまいました」
「ああ、後でもう一度詫びを入れておいた方がいいな」
「はい・・・」
「で、楽しかったか？」
もう一度紫龍に聞かれ紫苑は今夜見た感動的な仕事ぶりを熱く語って聞かせた。

紫龍が着替えに部屋を移動してもその後を着いて行き語り続けた。
紫苑の熱さとは違って紫龍はだんだんと不機嫌になってくる。
「そんなに格好良かったのか？」
「はいっ！」
だが子供のように瞳を輝かせて話す紫苑にそんな気分は飛んでしまったようだった。

紫苑は中学から今まで普通の男子が経験している事を殆ど経験していない。
それを本人は苦痛とも変だとも感じていないようだったが
もしこれが赤の他人だったら「可哀相なヤツ」で終わってしまったかもしれない気持ちが
紫苑に対しては「可愛いヤツ」に変わってしまう。
今まで経験出来なかった事を色々経験させてやりたかった。
紫苑がこんなに楽しそうに語るのなら、ずっと聞いててやりたかった。

「じゃ今度俺が連れて行ってやるよ」紫龍がそう言うと
「でも、僕お酒飲むと眠くなるから・・」遠慮がちに言う。
「大丈夫だ、俺と一緒なら寝ようが吐こうが構わない」
「僕、吐いたりしないから！」そう言って紫苑も笑った。

「それより僕、夏休みに海に行きたい」
「海も行った事ないのか？」
「まだ小さい頃、小学校の頃一度両親と行った事があるよ」
懐かしそうな顔で紫苑が答えた。
「判った、海にも行こう、紫苑が行きたかった所やりたかった事は全部俺が一緒にしてやるから」

「さあ、風呂に入ってベッドに行こう、今夜はもう寝なくていいだろう？」
紫龍の言葉の意味を察した紫苑は、さっきまで子供のように輝かせていた瞳を伏せ
「はい」と返事をして顔を上げた時には・・・もう違う色に輝いているように見えた。

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