「蓮……僕には逢わなくてはならない人がいる」
「誰？」
「僕を愛してくれたもうひとりの人……」
「もしかしてその人って？」
蓮の言葉に秀人は黙って頷いた。そしてその顔には強い決意のようなものが浮かんでいた。
「必ず俺の元に帰って来るよね？」
蓮は内心不安を抱えながらも秀人に笑顔を向けた。
「何かあったら必ず俺に電話して、いや家に帰り着いたら必ず電話して」
秀人にそう言い聞かせ、蓮は秀人を見送った。
秀人はその夜兼介の在宅を確認して隆弘の家を訪ねた。
勘のいい兼介は秀人の顔を一目見るなり纏わり付く隆弘を遠ざけ自室に秀人を呼んだ。
「秀人……何があった？」
二人きりになるなり兼介がそう言葉を発した。
「兼介さん、僕の顔を見るだけで何かあったって分かるんだ……凄いね」
秀人は『何かあったの？』ではなく断定的な兼介の話し方を聞いて怖いと思った。
兼介には嘘も誤魔化しも通用しないだろう、元より嘘を吐くつもりで来たのではない。正直な自分の気持ちを兼介に告げに来たのだ。
「もう、兼にぃとは呼んでくれないのか？」
「あ……っ！」
秀人は無意識のうちに兼介と距離を取ろうとしていた自分を気づかされた。
一方兼介は今夜の秀人を見て、もう以前の秀人ではないと気づいた。
雰囲気も目の力も何もかも幼かった秀人ではなかった。
「もしかして、好きな人ができた？」
「……はい、だから兼介さんの気持ちには……僕応えられない、ごめんなさい」
「なぁ？その好きな人って男？」
「…………ごめんなさい」
「まさか……もう？……いや答えなくていい」
兼介は今まで秀人の少年の目しか知らなかった、だが目の前にいるのは何処か艶めかしい色と芳香を放つ一人の男だった。言葉で答えを聞かなくても見れば分かる。
兼介は信じたくは無かった。自分以外の男が秀人の花を散らすなんて想像もしていなかったのだ。まだまだ幼いと思い大事に見守って来たのに……
「これじゃ花嫁の父だな……」自嘲気味な声に秀人は申し訳なくて俯いてしまった。
「ごめん……兼にぃ……」
「もう兼にぃって呼ぶなよ、兼介って呼べよ。一人の男として見ろよ」
怒っているような悲しんでいるような兼介に掛ける言葉が秀人には無かった。
「何？男に抱かれて気持ち良かった？そいつに満足出来た？」
「……ごめんなさい」今まで聞いた事のない兼介の乱暴な言葉に秀人は辛くて堪えても涙が零れてきた。あんなに優しくて頼もしい兄貴みたいな存在だったのに今の兼介は別人のように秀人を攻め追い詰める。
「兄貴、秀人……お茶持って来たんだけど……」ドアの外から隆弘の遠慮がちな声が聞こえた。
隆弘は二人の様子に何かを感じて気になって仕方ないのだろう。
隆弘の声に秀人がほっとして強張っていた肩の力を抜いた。
そんな秀人を見て兼介が「怒鳴ってゴメン」と謝って来た。
「いいぞ、入れよ」兼介の声に隆弘が盆に乗せた紅茶とケーキを器用に運んで来た。
「まだ話終わらないのかよ？」仲間外れにされ少し拗ねたような顔で隆弘が言うと
「いや、もうこの話は終わった。悪かったな秀人……困らせて」
紅茶のカップをテーブルに置きながら隆弘が秀人の顔を見て驚いた。
「兄貴！何秀人を泣かせてるんだよっ？」
明らかに秀人の頬には泣いた跡があったし、長い睫もまだ少し濡れていた。
「ち・違う隆弘……大丈夫だから。兼介さんは悪くないから……」
「秀人、隆弘にも好きな人が出来た事言っておいた方がいいぞ」
「え……っ、秀人彼女出来たの？それに何で兼介さんなんて呼んでるんだ？」
隆弘は二人の様子がおかしい事を訝しく思いながらも、秀人に彼女が出来た事には少なからずショックを覚えていた。
「彼女じゃないよ……秀人の好きな相手は……男だ」兼介は隆弘に向かって引導を渡した。
「男…………？何だよそれ？」隆弘は狐につままれたような顔で秀人に詰め寄った。
「まさか、あいつじゃないよな？」隆弘の言う『あいつ』は秀人の知る限り一人しか居ない。
隆弘と兼介の前でそれを肯定してしまえば楽になるのだろうか？
秀人は答えを出せずに心の中で小さく喘ぐだけだった。
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