那月が連れて行かれた先は、高級中華料理店だった。勿論個室だ。
「私は中華料理が好きなんだけどね、一人で来ても美味しくないからね」
円卓の向い合せの席に座っている剣持が、機嫌良さそうにそう言った。
広い円卓には、事前に予約していたのだろう、着席すると直ぐに大皿に乗った料理が運ばれて来た。
「遠慮しないで食べて」
「はい……戴きます」
那月もこんな豪華な中華料理は初めてだったが、特にマナーが必要な訳でもなく、周りを気にするでもなく、落ち着いて食事が出来た。
(駿平君にも食べさせたかったな……)
駿平の好きそうな料理が沢山並んでいる。
「どうしたの?何か幸せそうな顔をして、そんなに喜んでもらえたのかな?」
「あ……いえ、戴きます」
駿平の事を考えていて、つい口元が緩んでいたらしかった自分に、内心苦笑してしまう。
「恋人の事でも考えていました?」
「え……は・はい」
那月の素直な反応に、剣持の目尻が下がり嬉しそうな顔になった。
「その恋人って女性ですか?それとも?」
「……そんな事は剣持さんには関係ない事です」
と、那月はきっぱりと言った……が、剣持は楽しそうに笑いだした。
「本当に貴方は、素直な方ですね」
「……」那月は自分が何をからかわれているか咄嗟には、判らなかった。
「普通そういう質問をされたら……」
それだけ言うと剣持は楽しそうな顔をしながら、ホタテのクリーム煮を美味しそうに口に入れた。
「あ……」那月は剣持の言葉の意味を少しして気づいたが、もう今更だった。
恋人が異性か同性か聞く事自体がもうおかしいのだ。
それに笑う事も怒る事もしない那月は、恋人が同性だと認めたようなものなのだ。
「僕はそういう話をする為に来たのではありません」
「いや悪かったね。いいよ、仕事の話をしよう」
剣持は見た所、35・6歳だろうか?
もしかしたら、もう少し上なのかもしれないが、落ち着いた物腰は男としての余裕を漂わせていた。
茶封筒が乗ったテーブルが回され、那月の前で止まった。
「それは、契約書。読めば判る事だから、自宅に帰ってからでもゆっくり読んで」
「はい……」
那月は目の前に置かれた、茶封筒を取りながら頷いた。
「急がないし、そこに書かれている以外の事で何か条件があれば、考慮するよ。兎に角ゆっくりと考えてくれればいいから」
「はい、ありがとうございます」
「だから、今日はゆっくり食事に付き合ってもらえるかな?」
剣持の笑顔の下には計り知れないものが隠されているようだ。
いや、何も考えていないのかもしれない、ただ本心が何も読めない男だと那月は思っていた。
これが大人の男というものなのかもしれない。
那月が普段一緒に暮らし、好きな駿平は、何を考えているか直ぐに判るタイプだ。
だから駿平といると気持ちが楽になる。
だが剣持とはそういうプライベートな付き合いでは無いのだ、仕事の話だと那月は割り切った。
いや、剣持がそういう態度を見せている訳では無かった。
(僕って自意識過剰だ……)
そう思うと何だか肩の力が抜けて、通り辛かった食事も喉に通る。
「美味しい」
「ああ、ここの料理はお勧めだよ。いつか恋人と来るといい」
「そうですね、いつか……」
そう答えながらも1回の食事に、家賃の半分は飛んでしまうだろう贅沢は出来ない。
「実は、その書類には書いてないが、日向君にはデザインの方も手掛けてもらいたいんだが、どうだろう?」
「えっ?デザインですか?」
「嫌いじゃないだろう?君の仕事を見れば判るよ」
剣持の言葉は那月の心を動かすのに充分過ぎる言葉だった。
ずっと自分もそう思っていたが、今の会社では那月にそういう仕事は回っては来ない。
那月の目が輝いたのを見た剣持は具体的な話を始めた。
そんな話を始めたら時間が経つのが早くて、あっという間にデザートの時間になる。
時計を見てこの店に来てから3時間も経っている事に気づき、那月は慌てた。
「そろそろ出ようか?」
「はい、今日は本当にご馳走様でした。後日連絡って事で宜しかったですよね?」
「いいよ、日向君の都合の良い時で。でも良い返事を待っているよ」
「はい……」
那月は、最初の目的であった年棒のアップの事など頭から飛んでいた。
自分のやりたかった仕事を任せてもらえるかもしれない、その事で頭がいっぱいだった。
「自宅まで送ろう」
店を出た所で、剣持にそう言われて那月は、慌てて断った。
「地下鉄でも充分に間に合う時間ですから」
「そうか?この時間は酔っぱらいが多いぞ、遠慮しなくていい」
「……」
いつもなら、遅い時間に帰る時は駿平が迎えに来てくれるが、今日はそういう訳にはいかない。
(駿平君心配しているかな?)
仕事の話に夢中になり、時間の経つのも、駿平に途中連絡を入れるのも忘れていた。
マナーモードにしていた携帯を慌ててポケットから出した。
駿平からのメールが2件、着信が1件履歴に残っていた。
考えてみたら、夜の11時を過ぎてから、迎えに来てもらうなんて無理な話だ。
「さあ送ろう、乗りなさい」
剣持は今夜1滴のお酒も飲んでない事を那月は思い出した。
「剣持さん、お酒は飲めないのですか?」
「いや、アルコール大好きだよ」
「じゃ、今夜は……」
「将来有能な社員になる人を、無事に家まで送る予定があったからね」
揶揄するように剣持がそう言い、那月は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「さあ、乗って」
「はい、申し訳ございません」
中華料理店の駐車場に停めてあった剣持の車の助手席のドアを、剣持自ら開けてくれる。
「ありがとうございます」
そう頭を下げて、那月は助手席に滑り込んだ。
ランキング参加中です。ポチっと押して下されば凄く嬉しいです!
にほんブログ村FC2のランキングにも参加中です^^
- 関連記事
-