真木が駐車場に着いた時に、携帯電話が震えた。思わず凜太郎かと思い液晶画面を確認するが、そこには恋人の名前が表示されていた。
「もしもし……今空港。いや真っ直ぐ帰る。明日会いに行くよ」
簡単な会話を交わし真木は携帯を閉じた。恋人と会いたくないわけでは無かったが、万一凜太郎から緊急の電話が入った場合に、直ぐに動ける態勢でいたかったのだ。凜太郎から連絡が来る事は、九十九%無いだろうと思うが、一%の未練が真木をそうさせてしまった。
その頃凜太郎は、空港発の高速リムジンバスに乗り込んでいた。勿論初めての経験である。
(結構いいかもしれないな……)などと思いながら、東京の街の灯りをぼんやりと眺めていた。
凜太郎の視線の先には、緊張した面持ちで座る青年がいた。凜太郎はぼんやりとしたふうを装い、その青年の動きを観察している。青年は、メモとバス停の名前を確認するように何度も見比べていた。乗り慣れていないのが一目瞭然だ。気の強そうな綺麗な顔に時折浮かぶ不安がアンバランスで、妙に興味をそそられる。
その青年が腕を伸ばし停車ボタンを押そうと躊躇った隙に、斜め後ろに座る凜太郎が素早くボタンを押した。自分が押さなくて済んだというように、青年の肩が安堵に揺れた。
凜太郎は、リムジンバスから青年より先に降りた。後から降りた青年は、携帯電話を取出し誰かに電話を掛けている様子だった。凜太郎は迎えを待つ振りをしながら、その電話に聞き耳を立てる。
「えーっ! 野口、そりゃあないよ……」
『ごめん、明日と勘違いしていた。本当にごめんっ。俺だって彼女と月に二・三度しか会えないからさ……』
「う……ん。そうだよな……」
それは嘘ではない、以前野口がそうぼやいていた事があったのを覚えている。本当に間が悪い。
「大丈夫何とかなるよ。うん、分かった。うん、明日電話する」
優斗はそう言って電話を切り、深く溜息を吐いた。
「さて、どうするかな……」
その呟きは、近くにいる凜太郎の耳にやっと届く程度の小さな声だった。
「これ落としましたよ」
優斗が携帯電話をポケットにしまい、手を出した時にポケットから落ちた紙切れを凜太郎は素早く拾い上げた。渡しながらちらっと紙片を見ると、それは飛行機の半券だった。
「北海道から?」
凜太郎は半券にちらっと視線を投げかけながらそう微笑んだ。
「あ、はい。ありがとうございます……」
その声が酷く頼りなく聞こえるのは凜太郎の気のせいではないようだ。
「あれ?」
優斗は、凜太郎を正面から見て小首を傾げ、暫く凜太郎を見ていた。
「あああ!」
やっと答えを見つけたように優斗が破顔し、凜太郎に向き直った。
「どこかで見かけたコートだと思っていたら、札幌の公園で会いましたよね?」
「札幌の公園?」
凜太郎の筋書き通りなのだが、わざと凜太郎は惚けてみせる。
「ほら、俺寝ていて……貴方に救急車を呼ぼうかって言われた男です」
優斗は全くもって無邪気に凜太郎に語りかける。見知らぬ土地で友達にも会えずに余程嬉しかったのだろうか。
「ああ、思い出しました! 君も東京に?」
「良かった……間違えていたらどうしようと思いましたよ」
優斗は凜太郎の言葉に安堵して嬉しそうな顔を見せた。
(うん、可愛い)
「私は元々こっちの人間なのですが、バスの中で急にこれからの予定が変更になりましてね。急遽バスを降りた訳ですよ」
凜太郎の作り話に、優斗は小さく吐息を漏らした。
「貴方も、ですか。実は俺も……」
「これも何かの縁ですから、予定がないのなら一緒に食事でもしませんか?」
「でも……」
優斗はいくら偶然とはいえ、初めて会った人間とそこまで親しくしていいものかと躊躇う。東京には危ない人間がたくさんいると言われてきたのだ。
「別に怪しい者ではありませんよ」
凜太郎は優しく微笑みながら、胸ポケットから名刺入れを取出し、一枚抜いた。
「秋山グループ……」
聞いた事のある名前に優斗は警戒心を少し解いた。
「俺、桐山優斗って言います。今日北海道から出て来ました」
「そう、桐山君。もしこの後時間があれば、食事ご一緒しませんか?」
「でも……」
「私も時間が空いてしまって、一人の食事も味気ないものですからね」
行くあてのない優斗なのだ。凜太郎の誘いに乗ってしまっても、誰も浅ましいなどとは思わないだろう。とにかくこのバス停から早く離れて明るい場所に行きたいという気持ちの方が強かったかもしれない。
凜太郎がスマートに通りかかったタクシーを停めた。運転手に行く先を告げると優斗を労う。
「疲れただろう、遠くから」
「いえ、秋山さんも飛行機で?」
「そうだよ、君と同じ便だったみたいだね」
凜太郎は、半券が捻じ込まれた優斗のポケットに視線を投げながらそう答えた。
「そうだったんですか。俺たち縁がありますね」
「そうだね」
優斗の言葉に凜太郎は口元を緩める。縁は作るものでもあるのだがね。と心の中で呟いた事など優斗は知るはずもない。
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